報恩講
報恩講
報恩講のお荘厳
お礼をとげる集い
如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし 師主知識の恩徳も 骨をくだきても謝すべし
真宗門徒は、この親鸞聖人のご和讃を「恩徳讃」と名づけ、親しんでまいりました。私たちの本山では、毎年11月21日から28日までの七昼夜、報恩講が勤められています。わが宗祖・親鸞 聖人のご命日が、弘長2年(1262)11月28日だからです。全国52の別院や、 約1万のお寺でも、本堂には慢幕を張り、お庫裡ではお斎の準備をするなどして、各地域社会の生活にとけ込んだ、とても大切な行事として報恩講をお勤めしています。ご門徒のお内仏でも、あたかも親鸞聖人をお迎えしたかのおもいで「お取り越し報恩講」をお勤めしています。ご命日を取り越してお勤めすることから、この名が生まれました。「お仏事」とも称しています。 親鸞聖人の教えてくださつた浄土真宗という仏教は、「如来大悲と、それを私にまで伝えてくださった多くの人々のご恩を知り、身を粉にし、骨をくだきても報じていける身になれ」との「恩徳讃」の教えのほかにはありません。明日の救いを夢みて迷い、昨日の救いにこだわって惑う不安定な人生から完全に解放されて、救われつつある現在を、いきいきとして生きることのできる確かな私の人生をたまわる仏教であります。救われつつある現在を生きるとは、阿弥陀の本願に生かされて生きる私自身を知ることであります。限りなき願いのただなかを生きている、いまの私自身にうなづくことであります。自分自身の考えだけが正しいものとする人生観が、いま、主流をなし、社会全体が、聞く耳を持たない時代のようですが、ほんとうに「報恩講」を歌える私になるうなずきこそが、願われているようであります。